続日本100名城 (191) 中津城(なかつじょう)
中津城は、黒田孝高(如水)が築城し、細川忠興が完成させた梯郭式平城である。
「 中津城は豊前国中津の周防灘(豊前海)に臨む中津川河口の地に築城され、堀に海水が引き込まれたので、
今治城、高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられる。
別名を中津川城、扇城、小犬丸城、丸山城というが、
城の全体の形がほぼ直角三角形をなしていたため、扇形に例えて、扇城(せんじょう)とも呼ばれていた。
本丸を中心として、北に二の丸、南に三の丸を配置した海城であった。
中津城は明治四年の廃藩置県後、取りこわされ、
本丸と二の丸の部分が中津城公園になっている。
城の遺跡は堀と石垣のみである。 」
昭和三十九年(1964)、本丸上段の北東隅櫓跡(薬研堀端)に模擬天守が建てられた。
「 奥平昌信が中心となって構想し、
東京工業大学教授の藤岡通夫が設計を手がけた鉄筋コンクリート構造で、
外観は萩城天守をモデルとした、高さは二十三メートル、独立式望楼型五重五階の天守である。
天守は奥平家歴史資料館として、
奥平家歴代の当主の甲冑などと徳川家康からの軍法事書など古文書類を展示している。
模擬天守南に望楼型の二重櫓も建てられているが、かつてこの場所には南東隅櫓があり、
層塔型で多門櫓を続櫓として付属させていた。 」
江戸時代の絵図には天守は描かれておらず、「中津城下図」には中津川沿岸の本丸鉄門脇に三重櫓が描かれているのみである。
本丸跡には奥平神社や城井神社などがあり、
二の丸の水堀の北端付近には黒田官兵衛の像と光姫の像が建っている。
中津城に残る黒田孝高(如水)が普請した石垣は天正十六年(1588)に普請されたもので、
現存する近世城郭の石垣としては九州最古のものである。
また、本丸上段北面石垣(模擬天守北面下)は黒田氏の石垣に細川氏が石垣を継いだ境が見られる。
中津城の訪問記は、
古城めぐり 中津城にあるので、ご覧ください。
所在地:大分県中津市二ノ丁本丸
JR日豊本線中津駅から徒歩約15分
中津城のスタンプは中津城天守(奥平家歴史資料館 0979-22-3651 9時〜17時、 夏季(5月〜9月)は9時〜18時 月休、年末年始休) の受付にある
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