続日本100名城 (183) 久留米城(くるめじょう)






久留米城は筑後久留米藩二十一万六千石の有馬氏の居城になった城であるが、遺跡といえるものはほとんど残っていない。

「 毛利元就の九男、小早川秀包が天正十五年(1587)、篠原城の堀を掘削し、石垣を積みあげ、 天守がある城郭へ大改築したが、関ヶ原の戦で敗北し、改易となった。 
代わって入城した田中吉政の二男、吉信も亡くなり、田中吉政が居城する柳河城の支城であったため、一国一城令により廃城になった。 
有馬豊氏は、元和六年(1620)、筑後久留米に二十一万六千石を与えられ、  翌年三月、久留米に入部すると、幕府の御墨付きを獲て、破却されていた久留米城の修築と城下町の整備に着手した。 
慶安二年(1649)から四年掛かりで外郭部を構築し、城下町を整備し、 元禄四年(1691)、四代頼元の代になって、漸く城郭が完成した。 
その後明治維新まで、有馬氏が城主であり続けたが、明治四年(1871)に廃城となった。 
明治七年(1874)の廃城令によって、城の大半の建造物は解体された。 」

久留米駅東口の交叉点を左折すると次の交叉点の道がブリヂストン通りである。 
ここを右折し、左に工場を見ながら交叉点まで進む。 
その手前の道に左側に「久留米城三ノ丸跡」の石柱があり、説明板がある。 

「 久留米城は北西側の筑後川を天然の堀とし、比高十五メートルの川沿いの頭頂部を平坦にして本丸が築かれ、 その南側に二の丸、三の丸、外郭(四の丸)が配された連郭式平山城である。 
三の丸は、二の丸の南にある周囲を堀に囲まれた郭で、 御蔵屋敷、御蔵番屋敷、久留米藩の五名の家老の屋敷が置かれていた。 
今はブリヂストン久留米工場の敷地となっていて、その位置には石碑が道路脇に建っている。
三の丸の南東側にあった外郭(四の丸)は城内で最も広く、藩の上級家臣の屋敷や御郡支配方、 御普請方などの藩役所が多く設けられていた。 また、明善堂などの藩校や祇園社などが置かれていた。 
現在は市街地となり、市役所などが置かれ、久留米市の政治の中心部になっている。 」

交叉点には「←篠山神社 有馬記念館」の道標があるので、 左折し少し行くと「久留米城二ノ丸跡」の石柱が立っている。

「 二の丸は周囲を堀に囲まれた郭で、藩主の御殿などがあった。 
本丸は南北約百五十六メートル、東西約九十六メートルと、南北にやや長い長方形で、 約十四メートルから十五メートルの高石垣で囲まれていた。 」 

巽櫓跡
     三の丸跡      二の丸跡
三の丸跡
二の丸跡
本丸南高石垣



その先に冠木門石垣と櫓門櫓台石垣がある。 

「 江戸時代、内堀に架かる土橋を渡ると南正面に冠木御門(二の門)があり、 その西に櫓門(一の門)があり、枡形を形成していた。 冠木御門は本丸の大手虎口にあった桝形門(平門)で、その虎口は内桝形をしていた。 」

その先には篠山神社があり、久留米城のスタンプは社務所前に置かれている。 
篠山神社は本丸跡にある。

「 本丸御殿は久留米城の中心となる建物で、歴代藩主が政務を執っていたが、 明治七年(1874)の廃城令により解体された。  その跡地に明治十年(1877)、篠山神社が創建され、本殿(神殿)と拝殿が建っている。 」 

本丸南高石垣
     冠木門石垣      櫓門櫓台石垣
冠木門石垣
櫓門櫓台石垣
篠山神社(本丸御殿跡)



本丸南西隅に「太鼓櫓跡」の石碑が立っている。

「 太鼓櫓は本丸南に建てられた三重櫓で、冠木御門の西にあった。 
江戸時代には、本丸を取囲むように、七つの三重櫓(艮櫓、乾櫓、月見櫓、巽櫓、坤櫓西下櫓、太鼓櫓、月見櫓)が建てられ、 それらのほぼすべてが二重の多聞櫓で連結されていた。 」

その北に有馬記念館と千松庵という名の茶室が建っている。

「 有馬記念館の左の建物は、三重櫓であった坤櫓(ひつじさるやぐら)の櫓台石垣の上に建てられている。 
西下櫓(にししたやぐら)は本丸西に建てられていた三重櫓で、水手御門に続く多聞と連結していた。 
現在の有馬記念館の裏あたりにあったと思われる。 」 

「乾櫓跡」の石のプレートがある場所は乾櫓(いぬいやぐら)の跡である。
乾櫓は本丸北西に建てられた三重櫓であるが、その北側の多聞櫓跡とともに櫓台石垣は残っていない。

篠山神社(本丸御殿跡)
     太鼓櫓跡      有馬記念館
太鼓櫓跡
有馬記念館
乾櫓跡



艮櫓(うしとらやぐら)は本丸北東に建てられた三重櫓で、櫓台石垣の一部を欠損しているが、石垣が残っている。 
本丸御殿の北西側に固い岩盤をくり抜いて造られた大井戸がある。 

「 現在は落下危険防止のため、覆いや金網が張られている。 
本丸には他にも二つの井戸があり、その内の一つは本丸南の有馬記念館前に残っている。 」

月見櫓は本丸東に建てられた三重櫓で、東御門(月見櫓御門)のすぐ東側の上にあり、直下に蜜柑丸があった。
月見櫓跡の櫓台石垣の上には聖徳太子の像が建っていた。 

乾櫓跡
     艮櫓跡      本丸御殿の大井戸
艮櫓跡
本丸御殿の大井戸
月見櫓跡



東御門は本丸東側にあった門で、月見櫓に付属していたため、別名を月見櫓御門ともいう。
現在は門礎石の一部が残っている。
蜜柑丸(みかんまる)は本丸東側にあった腰郭で、蜜柑の木が植えられていたことから、蜜柑丸と呼ばれていた。 
現在は車道となり、一部が篠山神社の駐車場として利用されている。 
巽櫓(たつみやぐら)は、本丸南東隅に建てられた層塔型の三重櫓で、城で一番大きな櫓だったので、 天守の代用となって
いた。  元和六年(1620)頃に建てられ、縦は約十二・七メートル、横は約十四・五メートルの大きさである。 
現在は櫓台石垣の上に青木繁の石碑が建っている。 

月見櫓跡
     東御門跡      蜜柑丸跡
東御門跡
蜜柑丸跡
巽櫓跡



所在地:福岡県久留米市篠山町444 
JR鹿児島本線久留米駅から徒歩約15分  
久留米駅から18系統で6分、大学病院で下車、徒歩5分  
久留米城のスタンプは本丸跡の篠山神社の社務所前に置かれている 



 戻る(日本100名城表紙)




かうんたぁ。