続日本100名城 (177) 引田城(ひけたじょう)






引田城は城山と言われる山にある平山城である。 

「 室町時代末期 寒川氏に属する四宮右近の居城となったが、 元亀元年(1570)、阿波の三好氏に攻められ寒川氏は城を引き渡す。  天正十一年(1583)、羽柴秀吉は、家臣の仙石秀久を入城させたが、 翌年、長宗我部軍に引田表で敗れ、城を明け渡した。 
羽柴秀吉の四国平定後に再び秀久が入城したが、 九州戸次川の戦いで島津軍に大敗を喫したため秀久は所領を没収された。 
天正十八年(1587)、生駒親正が讃岐一国を得て入城するが、 引田城が讃岐の東に偏っていたので、同年聖通寺城に移る。 
元和元年(1615)の一国一城令で廃城となった。 」  

引田城は瀬戸内海に向かい東に突き出した陸繋島に築かれ、 尾根伝いにコの字型に展開し、四隅には櫓を備えていた。 
その中心はコの字状の尾根に置かれた東の郭、北の郭、西の郭、南の郭で、 その北側には丹後丸を配されていた。 
コの字の尾根に囲まれた谷間には貯水池である化粧池が設けられていた。 
現在の遺構は、四隅の櫓の内、北と西の二つの櫓を中心に残っている。 

所在地:香川県東かがわ市引田城山  
JR高徳線引田駅から徒歩20分   
引田城のスタンプは城下町の讃州井筒屋敷(10時〜16時 水休)か 引田公民館(9時〜17時火休) にて  



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かうんたぁ。