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龍福寺本堂 | 大内氏館池泉式庭園(2号庭園) | 築山館跡(八坂神社) |
大内氏館の左に延びる萩往還を北上すると、瑠璃光寺の五重塔があり、ここは現在香山公園になっている。
五重塔は大内文化の最高傑作とされ、国宝に指定されている。
高さ約三十一メートル、屋根は檜皮葺き、二層のみ廻り縁がついているのが特徴。
建築様式は和様だが、廻縁勾欄の逆蓮頭や初層(一階)の中にある円形須彌檀などには唐様が取り入れされている。
説明板
「 大内氏十代、大内義弘が現在地に香積寺を建立したが、応永六年(1399)に応永の乱を起し、足利義満に敗れて戦死した。
弟の大内盛見が兄を弔うため五重塔の建設を始めたが、九州の少弐氏、大友氏との戦いで、永享三年(1431)に戦死した。
五重塔は嘉吉二年(1442)に完成した。 」
山口県庁の前のロータリーの一角に旧山口藩庁門が残っている。
「 元治元年(1864)、時の藩主毛利敬親が藩政の本拠地を萩から山口に移すために建設した山口政事堂の表門として築造されたもので、
門の構造は切妻造、本瓦葺の薬医門で、主材はけやき、松を用い、木割ではなく、豪快で、いかにも城門らしい風格を残している。
明治四年(1871)の廃藩置県までは藩庁門として使用され、その後は山口県庁正門として、
新県庁舎(現県政資料館、国重要文化財)が完成した大正五年(1616)からは西口の門として使用され、
現在にいたっている。 」
「 幕末の文久三年、毛利敬親(もうりたかちか)は萩城から山口の中河原御茶屋に入り、
幕府に山口移住と新館の造営を正式に申請書を提出し、
元治元年(1864)、現在の県庁のあるところに山口城を築城したが、第一次長州征伐が起きたため、
幕府に恭順の意を示すため、完成したばかりの山口城を一部破却して、毛利敬親、元徳父子は萩へ退いた。
慶応元年、毛利敬親は再び山口へ移り、翌年には修理が終わった新館へ居所を移した。
この年始まった第二次長州征伐では、山口城は防長二州の政治、軍事の拠点として機能した。 」
門をくぐると、植栽があり、その先には大正五年に建てられた県政資料館(旧県庁の建物)が風格を漂わせ
ながら建っていた。
瑠璃光寺五重塔 | 山口藩庁門 | 県政資料館(旧県庁の建物) |
高嶺城は鴻の峰城、鴻之峯城とも記され、山口県山口市上宇野令字高嶺にあった山城である。
県庁西門口交叉点の西側の山が高嶺山(鴻の峰)で、麓に山口大神宮があるが、その頂上に高嶺城があった。
大内氏館の西北西に位置し、県庁はその中間にある感じである。
登城道は県庁西門前の山口大神宮の高嶺稲荷神社横にあり、そこから徒歩で七十分かかる。
車で訪れる場合、鴻ノ峰南麓の木戸神社の脇から城域の一角にあるテレビ中継所まで行くことができ、
そこから山頂まで五百メートル、徒歩約十五分である。
手前の駐車場(26台)から道幅が一台分しかない狭い道なので、対向車に注意、
駐車できるのは三台程度。
「 高嶺城を築城したのは、周防国、長門国を本拠とした戦国大名大内氏最後の当主、大内義長である。
大内氏館の詰の城として整えられた標高三百三十八メートルの鴻ノ峰に築かれた山城で、
四方に延びる尾根筋を削平して曲輪を配した連郭式縄張で、頂上部に砦と称する主曲輪がある。
頂部曲輪(砦)は周囲に石垣が築かれ、この城でもっとも防備を施した曲輪である。
大内義長は厳島の戦いで陶晴賢が毛利軍に敗れ自害し、大内氏の主力も壊滅的な被害を受けたことから
石見の吉見正頼や安芸の毛利元就に備え、弘治二年(1556)築城を開始したが、
毛利氏による攻勢は予想以上に早く、翌弘治三年(1557)に山口に侵攻したため、
大内義長は未完成のままの高嶺城に拠らざるを得なくなり、
結局、大内義長や重臣の内藤隆世は城を放棄して長門の且山城へと逃れ、その地で自害した。
大内氏滅亡後、高嶺城は毛利氏により築城が再開され、完成し、
城代として吉川氏一門の市川経好が入り、毛利氏による山口支配の拠点となる。
永禄十二年(1569)には、豊後の戦国大名、大友義鎮の支援を得た大内輝弘が周防へ侵攻し、
高嶺城を包囲し、攻撃したが、留守を守っていた経好の妻が指揮を執り奮戦し、
城の守りは固く、輝弘は城を落とすことはできず、
大内輝弘は九州より反転してきた毛利軍の前に敗北し、自害した。
慶長五年(1600)の関ヶ原の戦い後、毛利氏は周防、長門の二ヶ国に減封された際、
毛利輝元は新たな根拠地として、長門国萩の指月山、周防国防府の桑山とともに高嶺を幕府に提出したが、
幕府は要地である山口への拠点移動は許さなかったため、萩城が毛利氏の本拠となった。
元和元年(1615)の元和一国一城令により、高嶺城は破却されることが決定し、
寛永十五年(1638)に廃城となった。 」
慶長絵図 | 主郭の石垣 | 続日本100名城スタンプ |
所在地:山口市大殿大路119 龍福寺
JR山陽新幹線・山陽本線新山口駅から山口線で20分、山口駅下車、
バスで5分県庁前で下車、徒歩約10分
大内氏館・高嶺城のスタンプは山口市歴史民俗資料館(083-924-7001 9時〜17時入館は16時30分まで 月休 年末年始休) か、大路ロビー(火休)で押せる
山口市歴史民俗資料館は県庁の西側の県庁西門口交叉点の東側にある
大路ロビーは大内氏館跡の南西にあるので、
大内氏館跡を訪れてのスタンプは歴史民俗資料館の方がよいだろう