続日本100名城 (171) 備中高松城(びっちゅうたかまつじょう)
備中高松城は羽柴秀吉の毛利攻めの際、水攻め中、本能寺の変が起こり、中国大返しの舞台になった城である。
「 高松城は永禄末年に備中松山城主三村氏の命により、備中守護代で三村氏の有力家臣でもあった石川久式が、
備前との境目の城としてが築いた城で、
備前国に通じる平野の中心しかも松山往来(板倉宿から備前松山城へ至る)沿いの要衝の地にあり、
天正十年(1582)中国役の主戦場になった城として有名である。
石川氏は天正三年(1575)の備中兵乱で主家三村氏とともに毛利氏に滅ぼされた。
この時、清水宗治は石川氏の娘婿で重臣でありながら、主家を離れて毛利氏に加担した。
清水宗治は城主となり、備後三原城主小早川隆景の信頼を得て、東境防備の任にあった。
天正五年(1577)、「天下布武」を旗印に天下統一を狙う織田信長は、家臣の羽柴秀吉に命じて、
毛利氏の勢力圏である中国地方への進攻戦を開始した。 これが世にいう 「中国攻め」である。
中国攻めの先鋒を任された羽柴秀吉は、備前と備中の国境地帯で、毛利軍との攻防を繰り広げた。
毛利氏に味方する備中の豪族が守る城の総称は「境目七城」で、備前と備中の国境に位置し、
毛利軍の重要な防衛ラインになっていて、北から、宮路山城、冠山城、備中高松城、加茂城、日幡城、庭瀬城、松島城の七城で、
その主城が備中高松城である。
秀吉は同年四月、高松城攻めにかかったが、湿地帯のため、秀吉軍の兵や馬は攻め入ることができずにいた。
秀吉は参謀の黒田官兵衛の水攻めの進言を取りいれ、高松城の水攻めを断行し、清水宗治を自刃に追い込んだ。
秀吉は中国大返しで姫路に向ったので、岡山城主宇喜多秀家の重臣、花房正成が在城し、
関ヶ原合戦で宇喜多氏が滅んだのちは徳川家康の旗本、花房職秀が八千石で居城し、城域も整備された。
職秀の死後、一国一城令で廃城となったと思われる。
花房氏は廃城後、本丸に陣屋を構え、代々この地を領して十四代職榑の時に明治を迎えている。 」
JR備中高松駅の北一キロ程に備中高松城跡があり、現在は高松城史跡公園になっている。
その途中に「史跡 舟橋跡」の説明板がある。
「 高松城は平城で、三方を掘で囲まれていたが、
この南手口には具足の武士がようやくすれ違う程度の細い道があったが、開戦直前に八反堀を掘り、外濠とした。
そこに舟を並べて、舟橋(長さ約64m)とし、城内より進攻の際はこれを利用し、又退く時は舟を撤去出来る仕組みで、
城の西北の押出し式の橋と共に大きく防衛の役割を果たしていた。 」
「←清水宗治自刃跡 位牌堂」の道標に従って進むと、「史跡清水宗治自刃跡」の石柱が建っていて、
その先に「高松山妙寧寺」 と「花房家菩提所 清水宗治自刃地」の門柱が立っている。
平地に広がるのは高松城の跡で、今は高松城史跡公園として整備されている。
備中高松城は、低湿地に位置する典型的な「沼城」である。
西に足守川が流れ、その右に広がる低湿地帯の沼沢地に臨む梯郭式平城で、石垣は築かず土塁だけで築かれた土城だった。
城の周囲は東沼、沼田などの地名で象徴されるように沼沢が天然の外堀をなしていた。
縄張りは方形(一辺約五十メートル)の土檀(本丸)を中核にして、
堀を隔てて、同様の二の丸が南に並び、さらに三の丸と家中屋敷とがコの字状に囲む単純な形態である。
下図は水攻め時の備中高松城と毛利方と秀吉軍の布陣の様子である。
「 秀吉は、直ちに水攻めに向けた築堤に着手し、
城近くに流れる足守川の東・蛙ヶ鼻から全長約三キロ、高さ約七メートルの堤防を築き、
足守川の水を引き込むことで、城を水の中に取り残された浮城にしてしまった。
人夫に過分な金子を与え突貫工事で、十一日後には堤防が完成し、
折しも梅雨時で堰堤内には水が溢れ、城は水没した。
援軍に駆け付けた毛利氏側の武将、小早川隆景、吉川元春らは、
孤立する備中高松城の状況を前に為す術もなかった。 」
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水没した備中高松城 |
昔、城を取り囲む沼だった所は水田と住宅地に替わり、城跡は本丸部分を囲むように沼の名残の堀が残るだけである。
城址公園として、本丸以下二の丸等の部分が整備されているが、本丸以外どこまで城の曲輪跡か良くわからない。
本丸には、清水宗治の辞世の句を刻んだ歌碑と首塚がある。
高松城水攻めなど結構詳しい資料が、同公園内にある資料館に展示されている。
備中高松城駅の東南四百メートル程のところに水攻めの時に築かれた堤「蛙ヶ鼻築堤跡」がある。
城跡と堰堤跡は「高松城跡 附:水攻築堤跡」の名称で国の史跡に指定されている。
備中高松城の詳細(訪問記)は、
古城めぐり「備中高松城」をご覧ください。
所在地:岡山市北区高松558−2
JR吉備線備中高松駅から徒歩10分
備中高松城のスタンプは、高松城址公園資料館(10時〜15時 月休 12/28-1/4休) にて
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