続日本100名城 (168) 若桜鬼ヶ城(わかさおにがじょう)






若桜鬼ヶ城は、因幡三名城のひとつに数えられた名城で、尼子、毛利、秀吉軍らの戦場となった交通の要衝に築かれていた。

「 若桜鬼ヶ城は、因幡国の国境(鳥取県八頭郡若桜町若桜)にあった山城である。
ここは播磨、但馬両国に通じる街道の結節点に位置していて、 元和三年(1617)の廃城まで、因幡の重要拠点として栄えた。 
若桜鬼ヶ城は鎌倉時代の正治二年(1200)、駿河国安部郡矢部村出身の矢部十郎輝種により、 若桜鉄道若桜駅の南方、約一キロにある標高四百五十二メートルの鶴尾山に築城された。 
矢部氏は十六代続いたが、戦国時代になると尼子、毛利、秀吉軍らの戦場となり、 羽柴秀吉による因幡平定後は木下氏、山崎氏と城主が代わった。 
その後、池田光政が鳥取城に入ると、一国一城令で、廃城となった。 」

現在も当時の石垣が残り、典型的な山城の形態をとどめていることから、 平成二十年に国の史跡に指定された。 
古城ルートと八幡山ルートがあり、古城ルートは第一町民体育館裏の登山口から登るルートである。 
八幡山ルートは旧若桜小学校グランドの登山口から登るルートで、途中で六角石垣を見ることができる。 
どちらのルートも所要時間は30分〜40分である。 
自動車の場合は駐車場から徒歩15分で城跡に行ける。 

町のホームページでは 「 若桜鬼ヶ城跡は山頂まで二百メートルの標高差があり、舗装されていない道なので、 登る際は山登りができる服装、靴、装備で登城いただきますようお願いします。  また、雨でぬれた登山道は大変滑りやすくなっておりますので、特にご注意ください。 」 とある。 

若桜鬼ヶ城は鶴尾山山頂部から尾根部分に曲輪群を設けていて、 石垣に沿って進む、とホウズキ段、三の丸、二の丸、本丸と続き、山頂の主郭の南端には天守台がある。 
国人矢部氏時代の古城部と木下、山崎氏時代の主要部と、 中世城郭と石垣で作られた近世城郭の両方の遺構が残っているのが、国の史跡に指定される根拠になったという。 
山頂部から南北に伸びる尾根の中腹から先端部にかけては堀切、堅堀が見られ、小規模な曲輪群が構築されている。 
石垣に沿って進むとホウズキ段側から見た石垣は歴史を感じるが、ホウズキ段南西面の石垣には犬走りがある。 
三の丸、二の丸と本丸の石垣は近世初頭の新たな築城技術の打ち込み接ぎ(はぎ)の技法によって構築され、 木下氏と築城の名手といわれた山崎氏が築いたとされる。 
山頂付近にはこの付近で採れる石材を用いた石垣によって、虎口(こぐち)や天守台が築かれている。 
天守台は本丸南側に張り出した形をしている。 
主要部の石垣には元和三年(1617)に廃城になった際、破壊されたと思われる崩れた石垣が確認される。 
天守台からは若桜の町並みが展望でき、地上の眺めは絶景である。 

所在地:鳥取県八頭郡若桜町三倉  
JR因美線郡家駅から若桜鉄道で若桜下車徒歩約40分  
若桜鬼ヶ城のスタンプは若桜駅前ターミナル待合室内(7時〜18時30分)にて  



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かうんたぁ。