続日本100名城 (164) 洲本城(すもとじょう)
洲本城は、熊野水軍の安宅氏が兵庫県洲本市に築いた城で、三熊山山頂部の山城が古く、麓に造られた城が新城である。
山頂の城跡は平成十一年(1999)に国の史跡に指定され、
山麓の平城跡は洲本市の史跡に指定されている。
「 大永六年(1526)、熊野水軍、安宅治興が淡路島東部の三熊山頂に築城した城で、
安宅氏が淡路島各地に築いた土ベースの山城群の一つである。
天正九年(1581)、織田信長の臣、羽柴秀吉による淡路征伐で、三好氏の一族となっていた安宅氏は降伏。
淡路島は仙石秀久に与えられ、洲本城が淡路国の中心となった。
しかし、仙石秀久は九州征伐の際、軍律違反を犯して高野山へ追放され、かわって脇坂安治が城主となり、
天守が造営されるとともに、石垣の大改修の際、倭城での経験から、登り石垣が築かれた。
江戸時代になると、姫路城主池田輝政の三男忠雄が領主になり、
湾岸警備のため南東端の由良城を居城としたため、廃城になった。
大坂夏の陣の後、淡路島は徳島藩の蜂須賀氏の所領となり、筆頭家老の稲田氏一族が由良城代となるが、
交通の便が悪いなどの理由から由良城を廃し、再び本拠を洲本城に移した。
山上の城郭はしばらくして廃され、山麓の平城が中心となった。 」
大浜公園前のホテル脇から登山道を約二十分かけて登ると、
途中に削平地、山頂部まで幾重にも築かれた登り石垣を見ることが出来る。
山頂には総石垣造りの本丸、東の丸、南の丸等の曲輪が残っている。
本の丸南側の虎口と大石段、本丸西側の高石垣が見事である。
山上に残る石垣の多くは脇坂氏時代のもので、朝鮮出兵での経験を活かしたと言われる「登り石垣」が築かれている。
天守台の上の模擬天守は、昭和三年(1928)、御大典(昭和天皇の即位式)を記念して、
鉄筋コンクリート製で築造されたものである。
天守台に続く櫓台上からは大阪湾を一望でき、その見晴らしは抜群である。
山麓の平城跡には洲本市立淡路文化史料館や裁判所等が建っている。
所在地:兵庫県洲本市山手1丁目
淡路島には鉄道がないので、三宮、舞子などから淡路島行きの高速バスで、
洲本バスセンターで下車、そこからタクシーで約15分
洲本城のスタンプは洲本市立淡路文化史料館 (洲本市山手1丁目1−27 月休年末年始休) にある
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