続日本100名城 (156) 鎌刃城(かまはじょう)
鎌刃城は、鎌倉時代に箕浦庄の地頭だった土肥氏によって築かれた、とされる山城である。
「 鎌刃城は鎌倉時代に箕浦庄(番場の古い呼び名)の地頭であった土肥氏によって築かれたとされる。 北と江南の境目にあたることから湖北と湖南をつなぐ要衝として、
北近江の京極氏、浅井氏と南近江の六角氏とで、その領有をめぐって、たびたび争われた城である。
城主の堀氏は浅井長政に臣従しながら、元亀元年(1570)、織田信長に内応したことが露見したため、長政に攻められ落城。
姉川の合戦後には織田家の領地となり、一旦、堀氏が城主に返りさいたが、
信長の逆鱗にあい、堀、樋口両氏は粛清され、鎌刃城も破棄された。 」
鎌刃城は滋賀県坂田郡米原町番場の標高384mの山頂に位置する典型的な戦国時代の山城である。
平成10年より実施された発掘調査で、門柱の礎石を伴う見事な枡形虎口(出入口)や御影の礎石をはじめ、
中心部の周囲が高さ3mを越える石垣によって築かれていたことが明らかとなりました。
鎌刃城の郭配置は以下の図を参照ください。
@大堀切A大石垣B枡形虎口C櫓跡D主郭
|
鎌刃城全体図 |
所在地:滋賀県米原市番場
JR琵琶湖線米原駅から米原市地域福祉センター行きで10分、番場下車
中山道番場宿の西番場から山道を進むが、わかりずらい
バスは朝夕は出ているが、日中はない。
鎌刃城のスタンプは中山道番場宿の市道沿いで、
西番場公民館から南に百メートルの喫茶源右衛門の軒先に城の案内図とともに置かれている。
目印は番場宿と鎌刃城跡ののぼりである。
戻る(日本100名城表紙)
|