続日本100名城 (152) 津城(つじょう)
津城は、細野藤敦が安濃川と岩田川にはさまれた三角州に築いた城を、織田信包と藤堂高虎が城域を拡充し、近代の城郭に改築した城である。
「 津の古称は安濃津で、伊勢平氏の支配したところで、平安時代より伊勢国の政治経済の中心地であった。
津城は、戦国時代の永禄年間(1558〜1569)に、 細野藤敦が安濃川と岩田川にはさまれた三角州に小さな城を築いたことに始まる。
信長の伊勢侵攻により、永禄十二年(1569)、織田信包が城郭を拡充し、本丸、二の丸、三の丸を整備し、堀をめぐらせた。
また、天正五年(1577)に、五重の天守閣と小天守を建設している。
慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いで、東軍についた富田信高の軍は千三百人、
それに対し、西軍の毛利秀元、長宗我部盛親の軍は三万人で、城は落城、建物の大半は焼失した。
慶長十三年(1608)、藤堂高虎が伊勢と伊賀国、併せて二十二万石の大名として入城、
城を大改修し、輪郭式の城に変えた。
藤堂氏は、その後の加増により、三十二万三千石の大大名となり、伊勢街道を移して、城下町を整備し、
伊勢神宮参拝の宿場町として、「 伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ 」 と、うたわれるまでになった。 」
津城は、明治の廃藩置県で廃城になり、建物は壊され、また、昭和の太平洋戦争で、津は空襲を受け、大きな被害を受けた。
遺跡として残るのは一部の石垣と本丸と西之丸のまわりの内堀のみである。
津城の二の丸跡には模造の三重櫓(丑寅櫓)が建設された。
和風公園の中に、藤堂高虎の威風堂々とした銅像が建っていて、今でも津市民の誇りになっていることが窺われた。
五層の天守閣があった南西隅には一段と高い石垣があった。
市役所近くの津城址にある高山神社(こうざんじんじゃ)は、藩祖・藤堂高虎を祀神社で、続日本100名城のスタンプはここにに置かれている。
所在地:三重県津市丸之内33−5
近鉄名古屋線津新町駅から徒歩約15分
津城のスタンプは高山神社社務所にて
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