続日本100名城 (136) 鳥越城(とりごえじょう)
鳥越城は白山麓山内惣庄の旗本、鈴木出羽守により築城された中世の山城である。
大日川を挟んだ対岸の山上にある土豪の二曲(ふとげ)氏が築いた二曲城跡とともに国の史跡に指定されている。
「 鳥越城は白山市三坂町(旧鳥越村)の標高三百十二メートルの城山山頂に築かれた中世の山城である。
戦国時代前期の加賀国は一向衆による独立国の様相を呈していた。
それに対し、北からは上杉謙信、南から織田信長が領土拡大を進めていた。
白山麓山内惣庄の旗本、鈴木出羽守は、天正元年(1573)頃、織田信長による加賀侵攻に対抗するため、
加賀一向衆門徒達の拠点として、鳥越城を築城した。
天正八年(1580)、織田方の柴田勝家軍によって落城し、白山山内衆の主領、鈴木一族は滅ぼされ、
城は織田方の吉原次郎兵衛の管理下に置かれたが、一時城は奪い返されるなど、白山麓門徒の抵抗は続く。
織田信長による石山本願寺の鎮圧、金沢御坊の陥落の後、残るは加賀一揆の拠点である鳥越城。
天正十年(1582)、三月一日、柴田勝家の配下の佐久間盛政により城は落城、城内の門徒衆三百名余りがはりつけになり、
周辺の七ヶ村が根絶しになったと伝わる。 」
鳥越城は加賀一向一揆の栄光と挫折を最後まで担い続けた「白山麓門徒」の記録として歴史上の意義をもつ城である。
城は大日川と手取川の合流点に位置する鳥越山の丘陵先端部に築かれ、
城域は東西約四百メートル、南北約千二百メートルに及び、巨大な連郭式の縄張りである。
山頂の本丸から二の丸、三の丸、後二の丸、後三の丸など七つの主要な郭を尾根筋を巧みに利用して配置されていて、
それを空堀や土塁で囲み、さらに三つの腰曲輪が囲んでいる。
城跡には自害谷、首切谷と呼ばれる堀切などが残っている。
櫓門、門、石垣、柵列などは発掘調査を基に復元されている。
また、土塁、空堀、曲輪がそのまま現存している。 整備状況は大変よい。
所在地:石川県白山市三坂町
鶴井駅までは北鉄石川線がきているが、加賀白山バスも白山市コミュテイバスも地元主体の一日数本のみである。
(公共交通手段を利用するのは難しいので、自家用車かレンタカーによる訪問になるのではないか? )
山に登る林道は狭いので注意。 駐車場は広い。
鳥越城のスタンプは一キロ離れた平地にある鳥越一向一揆歴史館(076-254-8020、300円、9時〜17時、月休)にて
白山市出口には、道の駅一向一揆の里(月休、076-254-2888)があり、白山そばなどが食べられる
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