続日本100名城 (124) 品川台場(しながわだいば)
品川台場はペリー率いる米国艦隊への備えとして東京湾に築かれたもので、
江戸時代の人工海上要塞の貴重な遺構で、国の史跡に指定されている。
「 品川台場は嘉永六年(1853)、ペリー提督率いる米国海軍艦隊の来航を期に、江戸幕府が南品川猟師
町(品川洲崎)から深川洲崎にかけての品川沖に築いた要塞である。
西洋の築城書や砲術書などを参考にして築造が進められ、
嘉永七年(1854)七月には第一・第二・第三台場が、十二月には第五・第六台場と陸続きの御殿山下台場が完成したが、
第四・第七台場は工事半ばで中止された。
完成した六基のお台場は、親藩・譜代とそれに準じる格をもつ大名により、
慶応四年(1868)の幕府崩壊まで、江戸湾防備の基地として警備が行われた。
お台場は、明治六年(1873) 海軍省の管轄になり、明治八年(1875)には陸軍省に移管された。
大正四年に東京市に払い下げられ、同十五年、国の指定史跡となる。
その後、未完成だった第四・第七台場は撤去され、第三、第六台場を除き、その他の台場は埋め立てられ、姿を消した。 」
第三台場は、埋立地である「お台場」地区と陸繋がりになり、都立台場公園として自由に出入りできる。
お台場海浜公園からは江戸湾が一望出来て、第三台場とレインボーブリッジの美しい姿を見ることができる。
第三台場に入ると、下部中央にあるのは陣屋跡である。
当時勤番者の居住地として中心の低地部に建てられていた。 今は建物の基礎部分だけが残っている。
南端にあるのは砲台跡である。
西洋式築城法により外周部に築造された砲台である。
現在あるのは当時の記録を基に、昭和八年、御台場公園が設置された時に復元されたものである。
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第三台場とレインボーブリッジ | | 陣屋跡の柱列 | | 復元された砲台 |
下部にはかまど跡と火薬庫跡がある。
周囲には土堤をめぐらせた本瓦葺の建物があったといわれる。
火薬は火災や被弾の危険に備え、数ヶ所に分散して格納されていた。
南西角からは人工島が二つ見え、その間を海上バスなどの船が通っていくのが見える。
その島の右、レインボーブリッジに挟まれてある島が、もう一つの台場、第六台場である。
第六台場が当時の姿で海の中にある。 立ち入り禁止になっているため、植物や野鳥の宝庫に
なっており、学術的にも貴重な存在になっているという。
所在地:東京都港区台場1−10
品川台場(第3台場)へはゆりかもめ線お台場海浜公園駅より徒歩13分、
りんかい線東京テレポート駅より徒歩約15分
東京都観光汽船「日の出桟橋」に乗り、お台場海浜公園下船、徒歩17分
第6台場には渡る事はできない。
品川台場のスタンプはお台場海浜公園のマリンハウス1Fにある
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