続日本100名城 (109)第 米沢城(よねざわじょう)






米沢城は上杉氏が会津へ国変えになったとき、重臣の直江兼続が城主になったが、 関ヶ原の戦い後、上杉景勝は米沢へ移封となり、幕末まで上杉氏の居城となった。

「 米沢城は鎌倉幕府の重臣、大江広元の次男、長井時広が築いたとされるが、 これを実証する史料や遺構は確認されていない。 
室町時代初期、伊達晴宗が本拠地を福島県の桑折西山城より米沢城に移し、伊達政宗はここで出生したといわれる。 
伊達政宗は、天正十七年(1589)、蘆名氏を滅して、黒川城(会津若松城)に本拠を移したが、 豊臣秀吉の奥州仕置により、翌年には再び米沢に戻った。  
天正十九年(1591)、豊臣秀吉は会津と出羽を支配させるため、蒲生氏郷を黒川城主にしたので、 米沢城主には氏郷重臣の蒲生郷安がなる。 
慶長二年(1597)、秀吉は上杉景勝を越後から会津に転封させ、米沢城主は重臣の直江兼続がなった。 
慶長五年(1600)の関ヶ原の戦い後、上杉景勝は、領土を置賜地方と陸奥国伊達郡、信夫郡三十万石に削られ、米沢城に入った。 
これまでの米沢城はちっぽけなものだったが、 慶長十三年(1608)、上杉景勝は直江兼続に命じ、城の大改修を行い、 慶長十八年(1613)、本丸、二の丸、三の丸からなる十基の櫓と十七棟の門で構成する輪郭式の平城が完成した。 
本丸は一辺百メートル四方の曲輪で、周囲には水堀が巡っている。 
二の丸には藩の役所、世子御殿、御堂に近侍する法音寺、大乗寺など、 御堂に交替で勤仕する真言宗の二十一ヶ寺を置いた。
三の丸には上級、中級家臣の屋敷が置かれた。
明治維新により、最後の藩主斉憲は、明治五年(1872)、城内にあった謙信の霊屋(御堂)を鷹山とともに合祀し、 上杉神社とした。
明治六年(1873)には廃城令により城の建物が全て破却されたが、 二の丸にあった藩の政庁はそのまま郡役所、町役場(後に市役所)として利用された。
明治七年(1874)、城跡は松が岬公園となり、 明治九年(1876)、謙信霊棺は上杉家廟所へ、上杉神社は本丸跡に移された。  」

 

現在、上杉神社になっているところが本丸跡である。

「 上杉神社の正面参道に舞鶴橋が架かっているが、江戸時代は本丸への正門があった。 
米沢城の本丸は石垣はなく、土塁で囲まれ、本丸の東北と西北に三階櫓(三層の隅櫓)を建てて天守の代用としていた。  」

鳥居をくぐった両側には「伊達政宗生誕の地」の碑や上杉謙信像などがある。 
左手の小高いところには「上杉謙信祠跡」の碑が建っている。

「 上杉景勝は春日城から移送してきた上杉謙信の遺骸を本丸東南隅の堤上に御堂を建て、 その中に安置していたが、明治九年(1876)、謙信霊棺は上杉家廟所へ、上杉神社が本丸跡に移された。 」

本丸の中央部には藩主の住居の本丸御殿があったが、今は神社の境内で、二の鳥居、 その先に銅板屋根の穏やかなカーブを描く軒唐破風の門、その先に上杉神社の拝殿がある。

本丸水堀
     上杉謙信祠跡      上杉神社
本丸水堀上杉謙信祠跡上杉神社



上杉神社の南に上杉記念館(旧上杉伯爵邸)や米沢市上杉博物館があるが、これらは二の丸跡である。 
三の丸には上級、中級家臣の屋敷が置かれていたが、現在は市街地化している。
旧上杉伯爵邸は、明治二十九年(1896)、二の丸跡に上杉家十四代当主茂憲伯爵が建てた邸宅である。 
大正八年(1919)の米沢の大火により、類焼したが、大正十四年(1925)に再建され、鶴鳴館(かくめいかん)と呼ばれた。
国の有形文化財に指定された伯爵邸は上杉記念館となり、現在は郷土料理の提供や資料の展示が行われている。
  上杉記念館の北側には水堀が巡らされているが、これは米沢城の本丸堀である。 
堀に沿って北に進むと松岬神社(まつがさきじんじゃ)がある。
松岬神社は上杉神社に隣接し、米沢藩初代藩主景勝、九代鷹山、景勝の執政直江兼続などの六柱を祭神にしている。
境内には鷹山の明言、「なせばなる」や「伝国の碑」の石碑がある。

「 上杉鷹山は、高鍋藩主秋月種美の次男に生まれ、十歳の時上杉重定の養子となり、十七才で家督を継ぐ。   上杉家は、十八世紀中頃には借財が二十万両に累積する一方、石高が十五万石(実録は約三十万石)でありながら、 初代藩主、景勝の意向に縛られ、会津百二十万石時代の人員を抱えていたため、人件費だけでも藩財政に深刻な負担を与えていた。  鷹山は米沢織、米沢鯉、ウコギ、笹野一刀彫りなどの産業に力を入れ、質実剛健、質素倹約を進め、 米沢藩の再興に 寄与した殿様である。 」 

松峰神社の左側に大きな常夜燈があり、その先に橋が架かっていて、毘沙門天の幟が建っていた。 
参道の左側に「伊達政宗公生誕之地」の石碑が建っている。
米沢は、室町時代初期には伊達氏の支配するところになり、 伊達政宗はここで出生したといわれる。
 

旧上杉伯爵邸
     松岬神社      伊達政宗誕生地碑
旧上杉伯爵邸松岬神社伊達政宗誕生地碑



所在地:山形県米沢市丸之内ー4−13   
JR奥羽本線・山形新幹線米沢駅からバス10分  
米沢城のスタンプは、上杉神社内の米沢観光コンベンション協会観光案内所(9時〜17時 4月〜11月水休、12月〜3月月休、年末年始休) にて  



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