続日本100名城 (102) 上ノ国勝山館(かつやまだて)
上ノ国勝山館は北海道檜山郡上ノ国町にあった中世の山城で、
昭和五十二年(1977)に、上之国館跡のうちの一つとして国の史跡に指定された。
夷王山の中腹、南から北へと伸びる斜面を利用して長さ二百七十メートル、
幅百メートルで総面積二十・九万平方メートルの規模を有する。
さらに城の背後から山頂に向かって中世和人の墳墓群(夷王山墳墓群)が存在する。
「 勝山館は、後の松前氏の祖である武田信廣が十五世紀後半に築いたとされ、
十六世紀末頃まで武田、蠣崎氏の日本海側での政治、軍事、交易の一大拠点だった。
築城年代は不明だが、館北端にある館神八幡宮(たてがみはちまんぐう)の創建が文明五年(1473)と伝えられているので、
この頃の築城と推定されている。
蠣崎信広あるいはその子光広以降、蠣崎氏の本拠地とされていたが、
光広の時代の永正十一年(1514)に松前の徳山館に本拠を移転して以降は、
主要な副城として脇館転じて「和喜の館」と称され、一族を配した。 」
発掘調査により、中国産青磁、白磁、染付、国産の美濃焼、越前焼など約五万点の陶磁器や金属製品、木製品など、
十万点に及ぶの出土品、建物、井戸、空壕、橋などの跡が確認され、館内での暮らしぶりが蘇った。
また、当時アイヌの人々が使っていた五百点余りの骨角器も出土したことから、
この館ではアイヌと本州人が混住していたと推定できるという。
そういう意味で、勝山館史跡は、日本海北方交易や中世の生活様式など、「北の中世」を語る重要な史跡として、
中学校、高等学校の日本史の教科書などにも紹介されいる。
現在、館の内部では柵、空壕、橋などの立体復元、建物、井戸跡などの平面表示が進められている。
所在地:北海道檜山郡上ノ国町勝山
JR上ノ国駅前からバスで4分
続日本100名城の上ノ国勝山館のスタンプは勝山館跡ガイダンス施設(0139-55-2400)にあるが、
休館日や閉館期間は 「上ノ国町総合福祉センター ジョイじょぐら 0139-55-2230 」 に置れている。
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