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西中仕切は貫木門と太鼓櫓門からなる枡形虎口である。
太鼓櫓門をくぐると、左側に藩主専用の幅二メートルの御成り門があり、それを通ると三の丸屋敷の正面玄関に出た。
通用門は左側の幅六メートルの石段を上がる門だった。
三の丸には使者の間、小姓の詰所などと三十畳の広間があり、藩主の執務が中心的に行われた曲輪だったようである。
明和八年(1771)に本丸、西ノ丸、御廟など城の大半を焼く大火が起きて、三の丸屋敷の跡には武具庫が建てられた。
三の丸の右正面にある石垣は本丸の石垣で、本丸の北西部には天守の代用となる小三階櫓が建っていた。
本丸石段の左奥には二の丸があり、数寄屋、月見櫓、風呂屋があった。
ニの丸は遊興などを目的とした施設がある曲輪だったが、現在は休憩所と風呂屋を再現した設備がある。
「二の丸跡」の標柱の左手に「荒城の月」を作曲した瀧廉太郎の銅像が建っている。
本丸は天守にあたる三重櫓や御鐘倉のほか、藩主の居住を中心とした殿舎で構成されていた。
今は天満神社と土井晩翠の詩碑があるだけである。
三代藩主、中川久清は隠居後の居宅として、西側の重臣団屋敷を接収し、西の丸を築き西の丸御殿を造った。
「 元禄二年(1689)以後には、公式行事などが行われるようになる。 藩主の居住所または藩政の執務に使われるようになった。 江戸後期には、西の丸が藩政の中心的場所になった。 今は「西の丸御殿跡」の石柱が建っているだけである。 」
晴れた見通しのいい日は城山から祖母山、傾山、阿蘇山、および九重連山を望むことができる。
平成二年(199)には岡城公園として、日本さくら名所100選に選定された。
岡城の詳細(訪問記)は、
古城めぐり「岡城」にあるので、ご覧ください。
所在地:大分県竹田市竹田2889
JR豊肥本線豊後竹田駅からタクシーで5分で、観覧料徴収所に到着、徴収所から徒歩約20分で本丸跡
岡城のスタンプは観覧料徴収所( 0974-63-1541 9時〜17時)にて