日本100名城 (91) 島原城(しまばらじょう)
島原城は別名 森岳城、九州の外様大名への押さえに築かれた巨大な天守の城である。
「 元和四年(1618)、松倉重政(まつくらしげまさ)が島原城の築城を開始した。
しかし、築城のための課役、キリシタンの弾圧、過酷な年貢などが要因となり、
農民たちが天草、島原の一揆を起した。 原城に立て籠もった一揆は鎮圧されたが、
一揆を押さえられなかった責任をとらされて、松倉氏は断絶。
その後、高力氏、松平(深溝)氏、戸田氏、再び松平(深溝)氏が入城し、明治維新を迎えた。 」
島原城は南から北に本丸、二の丸、三の丸が並ぶ連郭式の縄張で、
五重五階の天守を中心に三基の三重櫓が建ち、平櫓は三十三基あった。
天守や三重櫓が建つ本丸(南)と二の丸(北)を廊下橋門が結ぶ縄張は比較的単純なものだった。
明治維新後、民間に払い下げられて、建物は壊された。
昭和三十三年(1960)に西三重櫓を再建したのを皮切りに、
天守、巽三重櫓、丑寅三重櫓が順に再建され、本丸の景観がよみかえった。
再建された天守は五重五階で、最上部を除いて破風がない典型的な層塔型天守で、
昭和三十九年(1964)にコンクリート製で再建された。
現在は空掘(ゲートボール場)になっているが、かっては本丸と二の丸の間に広大な水堀があった。
城の北西に家臣団屋敷街(武家屋敷)がある。
島原城の詳細は、
城めぐり「島原城」にあるので、ご覧ください。
所在地: 島原市城内1−1183−1
島原鉄道島原駅から徒歩約5分
島原城のスタンプは天守入口に置かれている
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