日本100名城 (90) 平戸城(ひらどじょう)






平戸城は平戸瀬戸に突き出た亀岡山に築かれた城で、現在は模擬天守、懐柔櫓、見奏櫓が並んで建っている。 

「 慶長四年(1599)、松浦鎮信(まつうらしげのぶ)が、三方を平戸瀬戸に囲まれた亀岡山に日之嶽城を築いたが、 幕府による改易を恐れて、慶長十八年(1613)、鎮信自ら城を焼き捨てた。 
以後、城は築かれなかったが、元禄十六年(1703)、藩主が寺社奉行に抜擢されたのを機に、新規築城を幕府に願い出て許された。  宝永元年(1704)、松浦棟(まつうらたかし)が、日之嶽城跡に新たに築城を開始、享保三年(1718)に平戸城は完成した。 」

平戸城は山上部に本丸と二の丸、海岸に面した山麓部分には海城ならではの船着場である小舟入、 御舟入などが設けられた城である。 
本丸、二の丸をはじめ、外郭ラインの至るところに山鹿流軍学による折れや屈折が施されている。 
明治四年(1871)、廃藩置県により廃城、山上部の建物は現存する北虎口門、狸櫓(たぬきやぐら)を残して壊された。 
北虎口門は本丸北下に位置し、改変されている部分が多いが、現存建物としては貴重である。 
天守閣の南に一段下がったところにある見奏櫓は昭和三十七年(1962)に模擬復元されたものである。 

北虎口門
     狸櫓      見奏櫓
北虎口門狸櫓見奏櫓



昭和三十七年(1962)、本丸北東隅に三重五階の模擬天守が建造された。 
天守閣からは本土と平戸島を結ぶ赤い平戸大橋と平戸瀬戸が見ることができる。 
懐柔櫓は本丸より一段低い三の丸にあった櫓で、昭和三十七年(1962)に模擬復元されたものである。 
二の丸跡に建てられている乾櫓は昭和三十七年(1962)に模擬復元されたものである。 

模擬天守
     懐柔櫓      乾櫓
模擬天守懐柔櫓乾櫓



平戸城の詳細は、 城めぐり「平戸城」にあるので、ご覧ください。

所在地:長崎県平戸市岩の上町1458 
松浦鉄道西九州線たびら平戸口駅から西肥バス平戸行きで約10分、平戸市役所前で下車、徒歩約5分 
亀岡公園グランド駐車場の石段を上げると北虎口門があり、入城券売場(510円)がある  
日本100名城のスタンプは天守閣入口に置かれている 



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かうんたぁ。