日本100名城 (86) 大野城(おおのじょう)





大野城は大宰府防衛のために、天智天皇四年(665)に築かれた古代朝鮮式の山城で、国の特別名勝に指定されている。 
白村江の戦いで敗れた大和朝廷が、新羅、唐の連合軍の来襲に備え、 北西の水城と南方のきい城と共に築かれた防衛施設の一つである。 

「 大野城は、大宰府政庁の北側背後に聳える標高四百十メートルの大城山(四王寺山)に築かれた。
百済からの渡来人の指導により築かれた大野城の城壁は、土を盛り上げた土塁で囲まれているが、 起伏の激しい地形のため、谷間は土塁ではなく、石を積み上げたダムのような石塁とし、 急斜面部は石垣を作るなどの工夫を凝らしている。 
山頂や山腹を土塁や石塁で取り囲んだ城郭の外周は八キロメートルに及ぶ大規模なものである。 
城郭内には数多くの建物の礎石が残されていて、万が一の場合、大宰府の機能を移すつもりだったと考えられている。 
城門は、太宰府口城門など九か所あったようで、 谷部には浸透式で自然排水の百間石垣や水ノ手石垣などに加え、水口のある屯水石垣などが確認されている。 
また、約七十棟の建物跡が確認されているが、それらは数棟で一群となり、主城原(しゅじょうばる)礎石群など、七つの場所に残っている。 
百聞石垣は、四王寺川の部分を石塁とし、それに続く山腹部を石垣として城壁で、 長さが約百八十メートルあることから、名付けられた。 
平均四メートル位の高さが残っていて、川底部での石塁の幅は九メートル程である。 
山腹の石垣の外壁の角度は七十五度前後もあり、下から見るとそそり立つようである。 
土塁は土をつき固めた版築状の土塁で、これは朝鮮式山城の特徴の一つである。 
また、百聞石垣の四王寺川から三個の礎石などが発見されていて、川に近い場所に城門があったと考えられている。 」

平成七年に百聞石垣、大石垣、尾花地区土塁、原地区土塁、大宰府口城門などが復元整備された。 

尾花地区土塁
     百間石垣川部部分      急角度の百間石垣
尾花地区土塁百間石垣の川部部分急角度の百間石垣



所在地:福岡県糟屋郡宇美町四王寺、太宰府市、大野城市  
西鉄太宰府線太宰府駅から徒歩40分  
大野城のスタンプは大宰府展示館(太宰府市観世音寺四丁目6-1 092-922-7811 9時から16時30分 月休(祝日は翌日)、
または 太宰府市文化ふれあい館(太宰府市国分四丁目9-1 092-928-0800 9時から17時00分 月休(祝日のときは翌日)  の二カ所で押すことが出来る。 なお、休館日(月曜日)は太宰府市役所文化財課の窓口にあるので、そこに行くこと。 
年末年始は西鉄太宰府駅前の太宰府市観光案内所に臨時で設置される。 



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かうんたぁ。