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城跡の北側には湯釜地蔵が祀られ、湯釜があった。
説明板「湯釜」
「湯釜は浴槽内の温泉の湯出口に設置するもので、この湯釜は現在の道後温泉本館ができた明治二十七(1894)年まで使用されていたもので、
直径166.7cm、高さ157.6cm、花崗岩製である。
奈良時代の天平勝宝年間(749〜757)につくられたと伝えられ、
湯釜上部に書かれた宝珠の「南無阿弥陀仏」の 六字名号は河野通有の依頼により、一遍上人が刻んだものといわれている。
湯釜本体に刻まれた温泉の効験に関する文は天徳寺の徳応禅師の撰文になるもので、
享禄四(1531)年、河野通直が石工を尾道から招いて刻ませたものである。 」
鎌倉時代に時宗を興した一遍上人は、河野通信の孫にあたる。
いまなみ海道にある大山祇神社は河野氏を始め源氏やその他の武将に篤く信奉され、多くの甲冑が奉納されてきた。
「 全国の国宝、重要文化財の指定を受けた武具類の八割がこの大三島に保存されているというから驚き。 河野道時、河野道有も奉納している。 河野通信は三島神紋流旗を奉納しているが、これも重要文化財である。 源義経を勝利を導いたのは河野通信が潮の変化を進言したことによるとされ、戦功の恩賞として所領を安堵、 さらに伊予国守護職に準ずる伊予惣領職が与えられ、河野水軍として瀬戸内を把握した。 」
公園の北側に正岡子規を紹介する松山市立子規記念博物館がある。
道後温泉は三千年の歴史を誇り、聖徳太子も訪れたといわれる。
その温泉を象徴するのが道後温泉本館。
明治二十七年(1894)に建築された木造三階建ての建物で、夏目漱石の坊っちゃんにも登場する。
所在地:愛媛県松山市道後温泉
JR予讃線松山駅から市内電車「道後温泉行き」で20分「公園前」駅で下車、徒歩約1分
湯築城のスタンプは湯築城資料館(9時〜17時休館日は玄関の外にある)