日本100名城 (63) 鳥取城(とっとりじょう)
鳥取城は、別名、久松山城、戦国時代の天文年間に標高二百六十三メートルの久松山の山頂に山城が築かれたことに始まる。
「 天正九年(1581)、織田信長の命令で、羽柴秀吉が大軍で、鳥取城を兵糧攻めにし、城将、吉川経家が将兵の助命を条件に自害した。
その後、宮部氏、池田氏が城主となり、山麓の大改修を行い、
山頂の戦国時代の山城(山上の丸)と麓の江戸時代の近世城郭(山下の丸)という、今日見られる縄張を整備した。
池田家三十二万石の居城となった江戸時代前期までに、山頂に二重天守、山麓には三階櫓が建てられた。
昭和十八年(1943)の鳥取大地震で、天守台などが崩壊したが、昭和の中頃から石垣を中心に復元整備が行われている。 」
戦国時代から江戸時代を通して増改築が行われたことから、
広大な城域には各時期の遺構が残り、「城郭の博物館」の異名を持ち、国の史跡に指定されている。
御馬場跡から見上げた二の丸三階櫓、走櫓、菱櫓の櫓台の高石垣、その背後にそびえ立つ久松山が見える。
二の丸三階櫓は山頂の天守が焼失後、鳥取城の象徴となった建物だが、明治時代に壊された。
天球丸には巻石垣という鳥取城にしかない石垣が復元されている。
鳥取城の詳細(訪問記)は
「古城めぐり 鳥取県(鳥取城)」をご覧ください。
所在地:鳥取市東町
JR山陰本線鳥取駅から日交バス、日の丸バス「砂丘・湖山方面行き」で
約5分西町下車、徒歩約5分で上り口、上り口から山上の丸まで約30分
鳥取市100円バス「くる梨青コース」休日及び夏季運行の観光バス「ループ麒麟獅子」では鳥取城の堀端で乗下車できる
鳥取城のスタンプは仁風閣(9時〜17時、月休)か鳥取市役所本庁舎1F総合窓口(8時30分〜17時15分、土日祝日休)で
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