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左にカーブする急坂を上ると松の丸門の説明板がある。
「 針綱神社から三光稲荷神社のあたりは、 江戸時代には松の丸という曲輪があり、松の丸御殿と呼ばれる御殿がありました。 この場所には本丸へつづく大手道から松の丸に出入するための松の丸門が建っていました。 明治初めに浄蓮寺(一宮市千秋町)に移築したとされています。 」
犬山城の大手道の屈曲する要所には門が配置され、
高い位置にある曲輪の石垣・門と併せて枡形空間(外枡形)が連続して構成され、
坂の下から攻め上がる敵の侵入を拒むようになっている。
この構造は文禄・慶長期に日本が到達した先進的な城郭のあり方を示しており、
犬山城は城郭構造の視点からも天下の名城といえる。
枡形の石垣前に黒門の説明板がある。
「 江戸時代、この場所には大手門の第3の門である黒門が大手道をまたいであり、 今も礎石が残っております。 この場所で敵を食い止められるとともに、 道具櫓(現在の神社社務所の位置)や樅の丸から攻撃できるなど、 攻守に秀でた構造になっていました。 明治9年(1876)、当時の価格で23円(一説には明治13年に25円)で、 徳林寺(丹羽郡大口町)に移築されています。 」
三光稲荷神社の脇の急な石段を上ると岩坂門の説明板があり、 その先右側に入城券売場がある。
「 江戸時代には本丸につづく大手道の坂を岩坂といい、
この場所には岩坂をまたいで、岩坂門といわれる門がありました。
つきあたりのの鉄門までの道は屈曲させており、
攻められにくい工夫がされておりました。 」
その先に楼門である鉄門がある。 鉄門の二階からは奥に犬山城の天守閣が見える。
ここから有料で、日本100名城のスタンプは鉄門2階の事務所(0568-61-1711 9.00〜17.00)前に置かれている。
木曽川の畔からの城の眺めの美しさは、漢詩にちなんで白帝城の雅称を生んだ。
かっては天守閣の前に本丸御殿があり、本丸の周囲に櫓が建っていたのだろうが、
明治四年(1871)九代目成瀬正起肥の時、廃藩置県で廃城になり、
天守と東南角の付櫓を除き、本丸御殿などの建物は撤去されてしまった。
犬山城の天守は、現存する天守では最も古いと言われ、国宝に指定されている。
「 犬山城の天守の創建は天正(1573〜92)、慶長五年(1600)、六年など、
いくつかの説があるがあるが、現存する天守では最も古いとされる。
天守はそれほど大きくないが、天守の東面の正面には入母屋破風、
三階の南北には唐破風があり、四階の華頭窓なども含め意匠的にも見ていて飽きることはない。
石垣を含め高さ二十四メートルで、三重四階、地下に踊場を含む二階が付く。
天守南面と西面に平屋の付櫓が付属する複合式で、
入母屋二重二階の建物の上に三間×四間の望楼部を載せた望楼型天守である。
窓は突上窓と火灯窓、両開き窓など、石垣は野面積みで、高さは五メートルである。 」
所在地:愛知県犬山市犬山字北古券65−2
名鉄犬山線「犬山遊園駅」から徒歩約15分
犬山城のスタンプは犬山城内の鉄門2階事務所(0568-61-1711 9時〜17時)にて