日本100名城 (42) 掛川城






掛川城は朝比奈泰熈が築城した城を山内一豊が大改築し、三重天守を築き上げた城である。

「 掛川城は室町時代中期の文明年間(1469〜1487)、 駿河国守護今川氏氏親が遠江進出を狙い、朝比奈泰煕(あさひなやすひろ)に命じて、 現在の掛川城の北東の小高い丘の上に築かせたのが始まりである。 
一時、徳川家康が支配していたが、天正十八年(1590)、豊臣秀吉は徳川家康への備えとして山内一豊を入れ、 山内一豊は近世城郭へと大改築の工事を始めた。 
山内一豊が建てた掛川城は本丸を中心に西に搦手、南東に大手を開き、北に天守曲輪である天守閣、 その北に竹之丸、南に松尾曲輪、西に中の丸、東に二の丸と三の丸、 その南に総構で囲んだ梯郭式の平山城で、三重の天守を建て、城下町全体を掘で囲んだ。 」

掛川信用金庫の角を曲がると「掛川城大手門通り」の看板があり、左手に大手門が見えてくる。

「  大手門は平成七年(1995)に復元されたもので、 間口七間(約12.7メートル)、奥行三間(約5.4メートル)の二階建の櫓門で、木造日本瓦葺き入母屋づくりになっている。  白壁で板ひさしが配され、棟の上にはシャチ瓦が飾られた勇壮な構えである。  元の大手門は現在地より五十メートルほど南にあったという。 」

大手門を入るとあるのが大手門番所である。

「 この番所は城内に出入りする者を監視する役人の詰め所である。  ここは東海道の掛川宿から掛川城に入る唯一の道筋にある番所で、 城内に出入りする者は全てここで調べられた。  建物は嘉永七年(1854)の大地震で倒壊後、安政六年(1859)に再建されたもので、 番所が現存するのは全国的にも珍しく、掛川市の文化財に指定されている。 」

更に北に向うと逆川に出て、その先に掛川城の天守と太鼓櫓が見えてくる。 
緑橋を渡り、四脚門をくぐると、満開のしだれ桜と太鼓櫓がマッチして、大変きれいだった。

「 掛川城の太鼓櫓は城下に時を知らせるための大太鼓を納めてあった建物である。  嘉永七年(1854)の安政東海地震後に建てられた櫓で、 昭和三十年(1955)に三の丸から荒和布(あらめ)櫓のあった現在の位置に改築の上、移築されましたとある。  なお、当時使われた大太鼓は二の丸御殿の広間に展示されている。 」 

大手門
     掛川城全景      満開の桜と太鼓櫓
大手門
掛川城全景
満開の桜と太鼓櫓



本丸の土地は普請前は南に傾斜した谷だったが、谷を埋め立て、本丸用地を確保したという。

「 そこに建てられていた天守は慶長九年(1604)の大地震で倒壊し、元和七年(1621)に再建されたが、 嘉永七年(1854)の安政東海地震により、再び倒壊。  その後、天守は再建されず、天守台などの遺構が残るのみだった。 」

平成六年に日本初の「本格木造天守閣」として三重の天守閣が復元された。
天守の再建に際しては、山内一豊が掛川城の天守と同様の姿に建てさせたとされる高知城の天守を参考にして、 それに近い構造とし、壁は白漆喰で塗り固められている。  また、元和七年(1621)に再建された姿が「遠江国掛川城御天守台石垣土手崩所絵図九」に描かれていることから、 三層四階の入母屋造で、二重目以上が板壁、二重目の唐破風出窓や慶長時代の様式といわれる花頭窓などは、 絵図などの調査に基づいて忠実に再現されている。 
天守に入る門の手前に「 天守門跡 天守に入るための二層の門があった。  調査で櫓をのせていた基壇の石垣が見つかった。 」 という説明板が立っていた。 
二の丸御殿が残っている。 現存する城郭御殿しては、京都 二条城など全国で四箇所しかない貴重な建築物で、 昭和五十五年に国の重要文化財に指定されている。

「  御殿は儀式や公式対面など、藩の公的式典の場であり、 藩主の公邸、藩内の政務をつかさどる役所という三つの機能を合わせ持っていた。  最初は本丸にもあったが、老朽化や災害により二の丸に移った。 嘉永七年(1854)の安政東海地震により倒壊したが、 藩主太田資功により、安政二年(1855)から文久元年(1861)にかけて再建された。  これが現在の二の丸御殿で、明治元年(1868)まで使われた。  建物は書院造りと呼ばれる建築様式で、玄関、御書院、小書院の建物で構成され、 畳を敷き詰めた多くの部屋が連なり、各部屋は襖で仕切られている。 」

城の北にある竹の丸は山内一豊は城を拡張した際、造成されたと考えられている。

「  竹の丸は天守閣や本丸など城の中心部に通じる道筋にあたり、防衛上重要な場所だったことから、 家老など重臣の屋敷地に割り当てられた。 現在あるのは江戸時代より続く葛布問屋「松屋」を営んでいた松本家が本宅として建築した建物である。  主屋は明治三十六年に建造され、桁行十間、梁間七間半の平屋建寄棟造、 離れは大正末期から昭和初期にかけて、平屋建から二階建に増築されている。 」

復元された天守 
     二の丸御殿      竹の丸
復元された天守
二の丸御殿
竹の丸



所在地:静岡県掛川市掛川1138−24  
JR東海道本線・東海道新幹線「掛川駅北口」から北へ徒歩約7分 
掛川城のスタンプは掛川城二の丸御殿(9時〜17時) にて 



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かうんたぁ。