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平成二十六年(2014)には旧二の丸の南西角に坤櫓(ひつじさるやぐら)が復元された。
「 坤櫓(ひつじさるやぐら)の名前は、築城当時は方位に干支が用いられていて、 北を子(ね)として時計回りに割り当て、 南西の方角は未(ひつじ)と申(さる)の間にあるため、坤(ひつじさる)と呼んだことに由来する。 外見は二重だが、内部は三階構造となっている。 復元に当り、駿府御城惣指図や駿府御城内外覚書などを基に 伝統的な木造建築工法を用いて復元された。」
内堀(本丸堀)は、明治時代、陸軍歩兵第34連隊を誘致する際に埋められたので、 二の丸と本丸の境ははっきりしなくなっている。 池の傍らに「本丸堀」の説明板があり、これは発掘調査したものを残したもののようである。
「 本丸堀は三重堀の一番内部の堀で、本丸を取囲んでいた。 幅約二十三メートル〜三十メートルで、深さは五メートルあった。 石垣は荒削りした石を積み上げ、隙間に小石を詰めていく打込みはぎという積み方だった。 角の部分は算木積みという積み方で、横長の石を互い違いに積んで崩れにくくしている。 」
本丸には本丸御殿が建てられていたが、明治に取り壊されて今はない。
本丸跡の西隅に徳川家康の銅像が建っている。
また、北側には家康手植えのミカンの木がある。
本丸の北西には天守台があり、寛永期には天守があった。
天守は六重七階(あるいは五重七階)建ての石垣天端で、
約五十五メートル×四十八メートルという城郭史上最大のものだったが、
寛永十二年(1635)の火事で焼失し、その後は再建されなかった。
明治二十九年(1896)、歩兵連隊設置に伴い、天守台と本丸堀が埋め立てられた。
平成二十八年(2016)から天守台発掘調査が行われて、その全貌が明らかになった。
寛永十二年(1607)に家康が隠居城として大改修した慶長期の天守台は
南北69m、東西63mの長さで、それを本丸堀が囲んでいた。
家康が天正十三年(1585)に最初の城を築いた時、築いた天守台跡も発見された。
その天守台は慶長期の南東部に位置し、南東37m、東西33mであった。
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所在地:静岡市葵区駿府公園1−1
JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅から徒歩10分
駿府城のスタンプは東御門券売所(9時〜16時半、月休) にて
東御門、巽櫓(200円)、紅葉庭園(150円)、坤櫓(100円)