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平成十六年、本丸太鼓門と太鼓門前橋、北不明門、二の丸土塁が復元された。
太鼓門は本丸の大手を固めていた門で、手前の橋詰門(高麗門)と奥の太鼓門(楼門)で枡形を形成する。
太鼓門の先は本丸跡。 本丸の戌亥隅に櫓台の石垣が残っている。 城内に現存する石垣の中では最も高い。
「海津城址の碑」の隣にあるのは復元された北不明門である。
案内板には、 「 本丸の裏口(搦手)に位置する門で、太鼓門と同様に櫓門と表門(高麗門)の二棟による構成である。
十八世紀中頃に行われた千曲川の改修以前は、門が河川敷に接していたことから、水之手門とよばれたことがある。
絵図史料をもとに、当時の門礎石をそのまま利用して忠実に復元しました。
楼門は石垣に渡らずに独立しており、中世的な様相を残した松代城の特徴的な門です。 」 とあった。
二の丸を巡っていた長大な土塁のうちの南側と東部部分が復元整備された。
本丸の東側が二の丸跡で、二の丸と本丸の間に東不明門前橋が架かっていた。
太鼓門を南に少し行ったところに、二の丸南門だった門の石垣が残っていて、
「史跡松代城跡」の石碑が建っている。
真田邸は、文久二年(1862)、参勤交代制度の緩和にともい、妻子の帰国が許されたことから、
松代城の外に造られた居館で、明治以降は真田家の私邸として利用された。
敷地には、蔵、長屋、門、番所、庭園などが残っている。
松代城跡は昭和五十六年(1981)に真田邸とともに国の史跡に指定された。
所在地:長野県長野市松代町松代44
JR長野新幹線、長野駅から川中島バスで「松代行き」で約30分、松代駅下車、約5分
長野電鉄屋代線、松代駅から徒歩約5分
松代城のスタンプは旧真田邸(年中無休、9時〜17時)にて