日本100名城 (15) 足利氏館(あしかがしやかた)
足利氏館を造った足利義兼は鎌倉幕府の有力御家人で、尊氏のときに室町幕府を開いた。
足利氏館の面積は一万二千三百坪(40,467u)、四囲に濠と土塁を巡らし、四門ある館であった。
足利氏館は、現在、真言宗大日尊鑁阿寺になっているが、上古の豪族の居館を原形のまま今日に残している。
「 鑁阿寺の開基、足利義兼の祖父、源義国(八幡太郎義家の子、足利、新田氏の祖)が、
別業(なりどころ/べつぎょう)として、平安時代に構築したのが最初とされるが、足利家二代目義兼説が有力である。
近世城郭の原始を示していることから、「足利氏宅址」として大正十一年、国の史跡に指定された。
なお、別業とは古代貴族の別荘のことである。 」
鑁阿寺(ばんなじ)の正面には反橋と楼門があり、説明板がある。
「 ここにあるのは反橋と楼門である。
楼門は当山では仁王門又は山門という。 開基足利義兼公が建久七年(1197)創建するも室町時代兵火にあい、
永禄七年(1564)足利幕府十三代将軍足利義輝の再建である。
構造雄大、手法剛建、入母屋造、行基葺き、両側の仁王像はこの建物より古く、鎌倉時代運慶の作といわれる。
反橋は俗に太鼓橋といい、江戸時代安政年間の再修である。 」
太鼓橋の先の楼門をくぐると名刹鑁阿寺の境内で、全体が足利氏館址である。
正面にあるのが国宝の本堂である。
説明板
「 本堂(大御堂)は鎌倉時代、建久七年(1197)に建立、正安元年(1299)再建。
本尊は源氏相伝の守本尊、大日如来、建築は構造雄大、手法剛建、本瓦葺き、唐様と和様を加味した折衷の代表的な建物で、
堂内の柱、天井、厨子等の価値は高い。 明治四十一年に国宝に指定された。 」
境内に建つ鐘楼、経堂は国の重要文化財、山門、反橋、東門、西門、多宝塔、御霊殿は県の指定文化財になっている。
また、妻の北条時子の霊を祀る蛭子堂や中御堂もある。
所在地:栃木県足利市家富町2220
JR両毛線足利駅から徒歩約10分
東武伊勢崎線足利市駅から徒歩約15分
足利氏館のスタンプは鑁阿寺の朱印受付にある。
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