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長坂は途中で右に曲がり、更に左に曲がるがそこに「御長坂門跡」の標柱が立っている。
二の丸から本丸に入る二の丸門である。
「 久保田城は基本的には土造の城だったが、重要な部分の土塁下部には石段が使用された。 長坂門口の石段で確認ができる。 」
そこを過ぎると右に曲がる枡形になっている。
右折すると石段があり、石段の上ノ左側には表門が見える。
「 表門は久保田城本丸の正門で、一の門とも呼ばれた。
本丸の玄関口として警備上からも重要な地点に位置する。
久保田城は慶長九年(1604)に完成したが、表門は元和八年(1622)に最初の建て替えが行われている。
その後、寛永十年(1633)、安永七年(1778)など何度か火災に見舞われている。 」
現在の表門は絵図などの文献資料や発掘調査の成果をもとに再建したものである。
「 構造は木造二階建て瓦葺き櫓門で、佐竹二十万石にふさわしい壮大なものとなっている。
表門の左手には門の警備と管理をする「御番頭局(おばんがしらへや)」があり、
門の右手には侵入者を警戒する「御物頭御番所」を置いて厳重な守りを固めていた。
御物頭御番所は久保田城内の二の門(長坂門)の開閉の管理と城下の警備、
火災の消火等を担当していた物頭(足軽の組頭)の詰所で、久保田城内に唯一残る藩政時代の建物である。
昭和六十三年に保存修理が行われ、往時の姿を今に伝えている。 」
表門をくぐると正面がお白州跡で、久保田城本丸跡の説明板が立っている。
説明板「久保田城本丸跡」
「 久保田城が築かれた神明山は三つの高地からなる標高約四〇メートル程の起伏のある台地で、
別名三森山とも呼ばれていた。 築城は慶長八年(1603)五月から着工され、翌九年八月に完成した。
本丸は最も高い所を削平や土盛をし、平にして造られた。
東西六十五間(約117m)、南北一二〇間(約215m)のほぼ長方形を呈し、
周囲には高さ四〜六間半(約7.3m)の土塁を構築している。
本丸の建造物には表門から入った正面に玄関が置かれ、
政庁である政務所が設けられており、池を配した中央部には藩主の住居である本丸御殿があった。
また、土塁の上を多聞長屋と板塀で囲み、要所には隅櫓を置き、
北西隅には兵具庫を兼ねた御隅櫓を設けた。
西南隅の土塁上には御座敷と呼ばれた書院風二階建ての「御出し書院」が造られた。
出入口は周囲に表門(一の門)、裏門、埋門(うずみもん)、帯曲輪門の四門に、御隅櫓に通じる切戸口があった。 」
その先に「本丸跡」の標柱が立っていて、その奥に久保田城の最後の城主、佐竹義堯の銅像が立っていた。
「 佐竹氏は清和天皇の子の貞純親王を祖とし、河内源氏の頼義の子、義光から三代、 昌義が佐竹氏の初代という清和源氏という由緒ある一族である。 第十二代藩主、佐竹義堯(文政八年〜明治十七年)は近代秋田を開いた最後の藩主である。 戊辰戦争では新政府方に属して戦った。 」
その左手に入ると八幡秋田神社が祀られている。
「 八幡秋田神社は初代佐竹義宣公を始め、歴代の藩主を祀る。 社殿は秋田県の有形重要文化財であったが、平成十七年に放火により焼失、平成二十年に再建された。 」
秋田神社の奥には与太郎稲荷神社がある。
秋田神社の左奥(南西隅)には御出書院櫓台跡(霊泉台)の標示がある。
埋門跡は佐竹氏の銅像の先の広場を越えた先の突き当たりにあった。
埋門跡を右折すると「←アヤメ園」の道標と「多聞長屋跡」の標柱が立っている。 下を見るとアヤメ池が見えた。
多聞長屋(多聞櫓)は土塁に沿って建てられていた、と思われる。
その先は左右が狭くなっていて、築城前は別々の山になっていたのを繋いだのかと思った。
その先の左奥に御隅櫓が見えた。
「 御隅櫓は久保田城の八つの隅櫓の一つで、本丸の北西隅に位置していた。
御隅櫓は物見と武器庫の役割を担っていた建物で、市制百周年事業として
平成元年に、史料に記されている二階造りを基本とし、
その上に展望室を加えて三重四階のコンクリート造で建設されたもので、
内部には佐竹氏の歴史を解説し、パネル展示を行っている。 」
御隅櫓から土塁に沿って進む。 現在も各曲輪の周囲の土塁がよく残っている。
その先が土門跡で、左折し、階段を下りると「帯曲輪門跡」の標柱が立っていた。
帯曲輪門跡を進むと佐竹氏の銅像のあった築山の裏に出て、
「奥庭跡」の表示があり、右手に東屋が建っている。
そちらには行かずに左に進むと裏門跡に出る。
「 裏門は夜間の出入りの際に使用された重層門で、二度の大火で消失し、そのつど再建され、
明治十三年の本丸の大火では焼け残ったが、楼門から平屋へと改造されて、
市内の鱗勝院(旭北栄町)へ移築され、山門になったと伝えられている。 」
裏門跡の階段を下りると左側に胡月池がある。
「 胡月池は公園を設計した長岡安平が最初に築造して池で、雪見灯籠や噴水が趣きを添え、
夏には二千年の眠りから覚めた大賀ハスが咲く。
その奥には不浄門跡や厩跡、彌高神社、馬場跡と金蔵跡がある。 」
胡月池の先は二の丸跡で、右に御物頭御番所のある台地を見ながら進むと「鯉茶屋」と書かれた建物前に出た。
これで久保田城の見学は終了である。
所在地:秋田市千秋公園1−39
JR奥羽本線・秋田新幹線秋田駅から徒歩約10分
日本100名城の久保田城のスタンプは秋田市立佐竹資料館(9時〜16時30分12/29-1/3休)にて