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空堀には東門があり、そこをくぐると右手に「薬草園」があるが、その奥に東善寺館があったようである。
この区画は広くその先に実のなる木の案内板があり、右手には桂の木もある。
中央部に「通路跡」の説明板がある。
「 この通路は堀を埋め戻して、その上に砂利などを敷いて造ったものである。 通路は中央部に広がり、二手に分かれるが、この分岐点から中館側(左手)は掘立柱建物や溝などで壊されていて、 通路として使われなくなったことが分かった。 もう一方の通路は下町方面に伸びると考えられる。 」
その先の左側にある堀はV字型の空堀だが、現在でも一メートル程掘ると地下水が出ることから、 堀底には水が流れていたことも考えられる。
「 堀の規模は本丸や東善寺館と並び、根城の中では大きい方である。
なお、城の中央を東西に横切っている国道も堀だったと推定され、
その堀を境にして郭の区画は北側が三角形、南側(沢里曲輪)は短冊型になっている。 」
空掘の先の四阿(あずまや)あたりが中館跡である。
本丸は全体が柵で囲まれ、廻りは空掘で囲まれ、中館と本丸の間に堀に渡した木造の木橋があった。
木橋から本丸へ通じる門は東門と北門及び西門があったが、東門が通常の門である。
中館跡 | 復元された木橋 | 復元された東門 |
近年発掘調査が行われ、
平成六年に本丸の主殿、工房、鍛冶工房、板蔵、納屋、中馬屋、野鍛冶場、番所、井戸、塀、門、柵、木橋、
四阿などが復元された。
東門を入ると主殿の前に上馬屋、中馬屋があった。
発掘された柱穴群に基づいて、主殿と上馬屋、中馬屋が復元されている。
「 主殿は当主が特別な来客と会ったり、さまざまな儀式を行ったところで、
儀式に使う道具や南部家に伝わる家宝が納められ、大事に管理されていた。
建物の中は大きな部屋が規則正しく並んでいた。
土間の台所以外は板敷になっていて、畳は特別な会見や儀式の時だけ出されて使用されていたようである。 」
その奥(南側)ある柱穴群は常御殿跡である。
「 常御殿は当主が居住し、政治をとったところで、 重臣たちと協議したり、来客と接見するための広間や寝所、従臣の詰所などがあったと思われる。 」
常御殿の奥には奥御殿もあった。
「 奥御殿は当主の家族が住んでいたところで、
先祖の霊も祀られていた。 当主は先祖の拝礼や家族のもとに常御殿から通ってきた。 」
常御殿の西側には工房、南側には野鍛冶場、鍛冶工房があった。
「 野鍛冶場は壊れた鉄鍋や銅銭などを溶かす作業をしていたところである。
鉄はまじりものを除いてからいったん棒状にして、
銅は鋳型に流し込んで固めた後、鍛冶工房で加工された。
強い風は炉熱を逃がしてしまうので、板塀で囲んで防いでいた。
鍛冶工房の建物は竪穴式で、地面から九十センチ下にある鍛冶場では職人が鎧や刀の部品の他、
釘などを作っていた。
鍛冶場にはフイゴと炉があり、周囲には鍛冶道具や不用になった鉄、銅銭、炭などが置かれていた。
当時金属は貴重なので、壊れた鉄片でも再利用された。
鉄製品は金づちで鍛え、銅は鋳型に流し込んで作られた。 」
板蔵は当主やその家族が奥御殿で使う道具や衣類を保管していた建物である。
「 品物を守るために厚さ六センチの厚板を使って丈夫に作られた。
板は柱の上から落ちこむようになっていて、簡単に外すことができない構造になっていた。 」
所在地:青森県八戸市根城字根城87
JR東北本線・東北新幹線八戸駅から南部バス「司法センター経由」で約15分「博物館前」で下車、徒歩約5分で本丸跡
日本100名城の根城のスタンプは八戸市博物館にて