日本100名城 (1) 根室半島チャシ跡群






チャシは北海道を中心に千島列島、樺太、東北地方の一部地域に見られる、 独特な形状をした砦、または城の総称である。 

「 チャシは、「柵囲い」を意味するアイヌ語であり、砦、祭祀を行う聖地としての場、 見張り場、談合の場など様々な用途が想定されています。  根室市内に32ヶ所のチャシ跡が現存しています。  これらの多くは、16世紀〜18世紀に造られたと考えられており、海に面した崖上に、 半円形や方形の壕が単独もしくは連結して構成されています。 」

根室市内32ヶ所のチャシ跡の内、24ヶ所が、「根室半島チャシ群」として、 国の指定史跡に登録されているが、その中で二つ、 ノツカマフ1・2号チャシ跡とオンネモトチャシ跡を根室市が整備しているので、訪れることに した。 

◎ ノツカマフ1・2号チャシ跡

ノツカマフ1・2号チャシ跡は道道35号根室半島線の風力発電の二本の風車が立つところの 左手にある。 
道道から左に入ったところに二台分の駐車場があり、そこが入口である。 
ノツカマフ1・2号チャシ跡があるところまでは、笹が茂る草原で、 あやめなどの野生の花が咲いていた。 
ノツカマフ1号と2号チャシ跡に分かれるところに、説明板が立っている。 

説明板の「ノツカマップの歴史」の部分
「 この地は、ノツカマップというアイヌ語地名で、 「岬の上にあるところ」という意味である。  1754年には松前藩の役人やこの地を経営する和人が住むようになりました。  1778年にはロシアの商人、シャパーリンやオチェレデンがノツカマップを訪れ、 交易を申し出ました。  1779年には、この地域を治めていた和人が、 アイヌ民族に対し過酷な労働や暴力的な支配を行ったことが原因で、 クナシリやメナシ(羅臼・標津)地方のアイヌ民族が、 和人七十一人を殺害する「クナシリ・メナシの戦い」がおきます。  その後、松前藩は鎮圧隊を派遣し、戦いに加わったアイヌ民族三十七人をこの地に集め、 処刑しました。  それまで、ノツカマップはこの地方の中心でしたが、 この事件をきっかけに現在の根室港周辺に中心が移りました。 」

説明板の「ノツカマフ1・2号チャシ跡」部分
「 ノツカマフ1号チャシ跡は、半円形の壕が二つ連結していて構成されています。 壕の幅は約5m、深さは2m〜3mと深く、壕の一部に「土橋」と思われる高まりがみられます。ノツカマフ2号チャシ跡は、半円形の壕が1ヶ所巡り、 幅2〜3mで、深さ50cm程度と、壕が浅く作られています。 
チャシ跡からは北方領土の国後島や歯舞群島を見渡すことができます。 」

右手に行くと「国指定史跡 根室半島チャシ群 ノツカマフ1号チャシ跡」の標柱が立っていて、 その先には湾が広がっている。 

ノツカマップ
     >説明板      ノツカマフ1号チャシ跡標柱
ノツカマップに咲く花
説明板
ノツカマフ1号チャシ跡標柱



ノツカマフ1・2号チャシ跡は、ノツカマップ湾に突き出した岬の上にある、 「面崖式」のチャシ跡である。 
  「 オホーツク海を一望できる崖上に半円形の堀が巡る。 」 とあったが、草が茂っているので、 確認は難しいが、左側の段差になっている(落ち込んでいる)ところが壕なのだろう。 
2号チャシ跡にも、標柱が立っている。 
標柱に「チャシ跡は、十六〜十八世紀ころ造られたアイヌの砦跡です。  当チャシ跡は一条の半弧状の壕が掘られ、ノツカマップ湾を臨んでいます。  壕は深さ五十センチと非常に浅く、完成されていないチャシかもいれません。 」 とあった。
ノツカマフ2号チャシ跡は、ノツカマップ湾に突き出した岬の先端にあり、 海側は崖で海に落ち込んでいた。 
右側の半円状になっている部分が壕跡と思われるが、確信は持てなかった。 

ノツカマフ1号チャシ跡
     ノツカマフ2号チャシ跡標柱      ノツカマフ2号チャシ跡
ノツカマフ1号チャシ跡
ノツカマフ2号チャシ跡標柱
ノツカマフ2号チャシ跡



オンネモトチャシ跡

オンネモトチャシは根室市内から道道35号根室半島線で約40分、納沙布岬から約10分のところにある。 
道道35号に戻り、15分程走ると、左側に入口の看板があり、左折すると下り坂で、 四台程停まれる駐車場がある。 
その先はオンネモト漁港であるが、民家や漁港に入らぬように、という標示板がある。
駐車場を出ると、「オンネモトチャシ跡→」の看板と「温根元野鳥観察会→」の看板がある。 
坂を上っていくと、「オンネモトチャシ跡」の説明板がある。 

国指定史跡 根室半島チャシ跡群 「オンネモトチャシ跡」
「 チャシ跡は、アイヌ文化期(13世紀〜19世紀)の砦跡とされていますが、 チャシ跡の築造は、18世紀ころまでとされています。  砦のほかにも見張場、聖地、祭祀場などの使われ方をしたようで、 その規模や形状は様々です。  北海道内には500以上のチャシ跡が確認されています。  特に、道東地方はチャシ跡の分布密度が高く、根室市内にはチャシ跡が32ヶ所現存しています。  そのほとんどが、オホーツク海を臨む海岸段丘上に作られています。  根室半島のチャシ跡群は保存状態が良好なこと、分布密度が高いこと、 寛政元年(1789)の和人のアイヌ民族に対する非道が発端の「クナシリ・メナシの戦い」と関連性が 高いことから、根室半島に分布する24ヶ所が、「根室半島チャシ跡群」として、 昭和58年に国指定史跡となっています。 
オンネモトチャシ跡は、温根元湾の西岸に突出した岬の上に盛土を行い、 壕で区画し、盛土頂上に平坦面を2ヶ所作り出しています。  温根元漁港から側面を見ると、「お供え餅」のように見え、 形が良好なチャシ跡として知られています。  近くには、長さ12mのオホーツク文化期の竪穴住居もあり、 古くからこの湾が利用されてきました。  チャシ跡からは、歯舞群島や国後島が指呼の位置に臨め、 交易品として貴重なラッコの毛皮入手などのために、 海を越えていた根室地方のアイヌの生業領域の広さを実感できます。 」

説明板のところを右折すると、その先にオンネモトチャシ跡がある。 
オンネモトチャシ跡は、岬や丘の先端に孤状の壕により区画された面崖式チャシである。 
オンネモト漁港が臨めるオンネモトチャシ跡には「根室市指定史跡 オンネモトチャシ」の標柱 が立っていた。 

オンネモトチャシ跡
     オンネモトチャシ跡標柱      日本100名城スタンプ
オンネモトチャシ跡
オンネモトチャシ跡標柱
日本100名城スタンプ



所在地:北海道根室市温根元59、60、60地先ほか  
見学に適しているのはノツカマフ1・2号チャシ跡とオンネモトチャシ跡の二ヶ所である。 
オンネモトチャシ跡は根室市温根元55番地1
JR根室駅から根室交通バス「納沙布線」で35分、 「納沙布岬」で下車、温根元漁港方面に徒歩約30分 
車のばあい、根室市街地から道道35号根室半島線(オホーツク側)を約40分、 または納沙布岬から納沙布岬方面に約10分
ノツカマフ1・2号チャシ跡は根室市牧の内127番地
車で根室市街地から道道35号根室半島線(オホーツク側)を約20分
日本100名城のスタンプは根室市歴史と自然の資料館(0153―25―3661 根室市花咲港209 9時30分〜16時30分)か 
根室駅前の根室市観光案内所(根室市観光インフォメーションセンター 0153―24―3104 9時〜17時) にて 



 戻る(日本100名城表紙)




かうんたぁ。